にあった政治難民の帰国を決定したは、南ア政府と交渉した最初の国連機関であり、91年以来南アに常駐し1棟学校、診療所、給水所を中心としたコミュニテテーている唯一の国の発展につながるそれに反し、紛争、民族スタンとソマリ連機関でもある。難民の帰国そのものが、人種、民族、部族聞の和解に寄与し、将来決を見ることはできない。アフことを、南アの経験は立証するものである。部族対立が続く限り、難民問題の解アの場合、前者は冷戦下のソ連占領時代、パキスタンに逃れた3100万人の難民に、際社会は厚い救援を続けた。後者も、米ソ双方は冷戦戦略から多大の援助を相対立するソマリアの諸部族に与えた。ソ連のアフガニスタン撤退は、アフガン難民の帰国を可能にし、92年、93年とはパキスタン国からの、イラン両帰還実施に努力を重ねた。ところがソ連撤退後のアフガニスタンでは、長年抵抗を続けたイスラム諸軍閥聞の対立が激出がられる状況である。長びくアフガン紛争に、国際社会の難民救援にはかげり出要請に対する反応はきわめて低調である。ソマリにいても、部族対立の中で飢餓に苦しむ犠牲者を救うために派遣された国連平和維持軍定されている、部族リーダーの反援と抵抗にさえぎられ、95年3月末までに撤退が決ケニア、ジブに残された難民の帰国はさして進展せず、この場合も、各国からの拠出迷しているここ数年間、最大規模の民援助活動が続けられた旧ユーゴスラビアについても、このところ人道援助の限界が感される。

